少林寺拳法の間合いの話し?

BY ライデン IN , , , No comments

色々思うに、

少林寺拳法は守主攻従ということで、やや間合いが遠目と思われるている節を門内で感じる時があるけど、実際どうなのかなと。

先日の他流派合同スパーリング練習会の日記より
>少林寺拳法ていつもこんなに間合いちかいんですか?ときかれるが、
>「・・・・・・・・・・・今日は攻撃間合いなんで」と答えておく。

とは言ったものの、どうなのか。 


はっきり言えば、伝統空手のほうが遠間で戦えると思う。彼らは3Mくらいなら余裕でうまーく詰めてくる。
異論もあるだろうけど、少林寺拳法は運歩が得意な流派ではない思うんだよね。攻めて来る相手、入ってくる相手をバチンと返り討ちにする技術体系なので、あんま足使わんのよ。せいぜい1-2歩。

伝統空手の運歩まじすごい。何歩でも突と蹴で追いかけ続けることができる。減速せずに体育館の端から端まで追跡する。左右切り替え・間合いを盗みつつ左右ステップ的なのを混ぜ合わせつつもいける。縦横無尽に動ける。
そういうのに比べれば、少林寺拳法の運歩はシンプルなもんよ。少林寺拳法は運歩が下手ていう言葉はきついかもしれないが、まぁ仕方ない。そういう技術系統なんだもん、としか思わない。


徒手格闘はコンビーネーションやってなんぼ、てのがある。武器術よりも攻撃力が断然落ちるので徒手では一撃必殺は現実的には難しいので、KOルールでもアマチュアなんかは結果として判定が多い。
細かく散らすことが肝要。んで実際のとこ2-3発のコンビて全弾かわすのは、毎回「全部」かわすのはしんどいので、大抵は1-2発目で潰しに入る。だから法形も三発が最高数、妥当なところだ。三発打っていいなら、コンビネーションの組み合わせはめちゃくちゃ多い。その組み合わせの数だけ法形増やしても全く使いもんにならないのは明白だからね。
相手の攻撃を潰そうと思うと、運歩が弱い少林寺拳法は適度に近い、触れられるくらいが幸せなんじゃないかと思う。

私見だけど、初段以降上受投げ(上受)・小手投げ(下受)・開身突(外受)、掬投(払受)等、こういった技がしれーと入ってくるけど、どれも級拳士のときみたいにパチンと受けていたら全く捕れん。それだと相手が同門拳士ですらムズすぎる。いやパチンと受けるのが悪いという意味ではない。あれはあれで必要。だがあれはアンダーコントロール、キープコントロールに持ち込めん。

そこで某接触スキルを使用するわけだが、ゲームじゃないけどスキル「接触」を使えば、自分を守れるし、適度に相手に作用し続けられるし、相手にNEXTスイッチ入れさせないので次の攻撃も「比較的」潰せるしで、まぁとりあえず接触しとくのがいい。
ビビって離れたほうがコンビネーションの餌食になりやすい。コンビネーションうたれた日にゃ、全弾撃ち落とすのはかなりしんどい。受け手は諦めてブロック併用でトンズラこきたいが、素手だとブロックしてても痛いもんは痛い。

関係を完全に切るより適度な関係性を維持して影響力を残す、といった政治みたいなことが拳法でもとても有効でそのためには適度な間合いて、まぁ触れとける間合いが一つそれなんだと思うんだけど。

ボクシングのクリンチや剣道の鍔迫り合いのように、打撃て近すぎると効果がぐっと下がる。遠いのが一番安全だけど、一番危険なのは近距離でなくて実は中距離。半端な中距離で滞在するなら近づいて接触するか、さっさっと離れないとね。
んで少林寺拳法の一般的にやる一足一拳、グーで距離取り合うやつね。あれ実際はかなり半端な距離、に思える。どちらが「真」なのかしらんが、たまーに見るパーによる一足一拳ははまぁ守主攻従的にはやりやすくもある、かもしれん。逃げる気満々(褒め言葉です)の守主攻従には向いてると思う。

んでスパー練習会のときはそんな間合いで練習してもつまんないので、攻めの間合いになる、攻めだけど接触できる距離なら守りにも適してる。
ただクリンチ・鍔迫り合いは投げがないのでいいけど、徒手格闘は普通組まれる可能性のほうが高いので、適度なパワーも体力もないとかん。接触スキル使ってるときにパワーで押し込まれて引き倒されてんじゃ目も当てられん。

かといって接触して終わりでもなく。伝統空手とか中国武術てかなり下半身強いからね。引き倒すのけっこう苦労する。総合とかまじ重い。組みたくない。組むふりだけして相手に組への警戒心持たせる程度が気楽。キックもクリンチ慣れしてるから倒れないんだなぁこれが。
力方向単一の押し引きに鈎手でいくら耐えれますとか言っても、まったく意味ないんで、これは少林寺拳法の課題だとはいつも思う。家庭としては必要な段階ですけど。
まぁウエイトすれば、半年で耐性は3倍くらいアップするんだけど。何十年鈎手やるのもいいけど、ウエイトしてからのほうが断然いい。

開祖の逸話で仲裁に入った際に片手だけ握っておいて、暴れだしたら閂を捕ったみたいなのがあったと思うけど、暴れる前にさり気なく片手を抑えてるて間合い、これのほうが安全なんだよなぁ、と思う日々。特に触れておけば、突然暴れても比較的反応しやすい。触れられてる箇所の反応潰して、他所で殴るとかいう高等テクニックが街なかでそうそうないと思うんだよね。

ちゅーわけで、少林寺拳法にとって安全な間合いてけっこう近いと思うんだけど、どうだろう。
そういう間合いを優位に取れるようにしないと、そもそも五花拳が成立しないし。

演武について2 「絶対評価とマルチ」

BY ライデン IN No comments

一つやってみたいのは、絶対評価てやつかな。 合宿とかでやってみたい。

いまは80点が基準で実際は75-90で評定となってて、級拳士の80点、初段の80点という異なる基準が動いてるけど、この基準をなくして単純に絶対評価。

  • 入門して一年目は50点だったけど…このまえは62点でました!! 
  • 三級なのに80点出しててワロスwww 
  • 四段なのに75点しか出せなかった(´・ω・`)ショボーン 

とかまぁそな感じ。
白帯トップが五級中間点より上です「うぉぉぉぉ」とか。

それこそ全員白帯付けて段位が分からないようにして採点したらどうなるの?てかんじ。どうせ顔とか技でわかるけどー。ただ審判はすごく難しいね。
(たぶん)修行を重ねていけば点数上がっていくんだから判り易いし励みになるかなと。でもう高齢者が体力落ちて点数下がっていったら萎えるかな。うーん。


あとマルチ。
たしか養神館ではすでに実施しているというのを読んだ気もするのだけど、大会当日に演武相手を運営が決める。
1-2時間練習時間とって演武。これで十分できると思うけど、なんなら三構成くらいでもいい。
限られた時間の中ではじめての相手のサクサクと組めることも大切だと思うな。技術的にも気持ち上でも。法形て共通言語はあるわけだし。

ステキなステキな座間道院の合宿では毎回これやって楽しかったものです。合宿最初に相手を決める。最終日に演武。演武の練習時間はあえて取らないので、みんな休憩時間に演武練習、なので合宿の密度もあがる。
ここの演武発表、超楽しい。なぜなら、野次と言う名の歓声が飛びまくるから。演武の内容もかなり自由なのでそれもいい。かなり自由、かなーり自由。技術的にも自由だし、ネタ的にも自由。ただし野次は甘んじて受け入れるべし…

競技としてやる以上は枠は必要だけど。アトラクションとか、部内の演武会はもっと自由でもいいね。 
演武にももっと工夫をすれば少林寺拳法はもっと面白くなると思うな。


※B氏にマルチて何と言われたので解説しとくと、ネットゲームで独りで敵と戦うのがソロ、ネット経由でつながってみんなで戦うのがマルチ。繋がる相手は特定のフレンドの場合もあるけど、条件設定してその都度メンツを組むこともある。

演武について1

BY ライデン IN No comments

昨日の話、メモっておこうと思う。

少林寺拳法にとっては演武はとても大事な修練の一つで盛況にやってます。
きのうB氏と話していて、厳密に言えば親子演武とかは脚色があるので技術的にはちがうところもあるし、最近あった男女の部では「女性が最後には抑える側に固定」はいろいろ意見もあるとかまぁそんな話を。

男女の部のについては、女性側から賛成も批判もあるとか。
賛成する人は、やはり男女の体格差がシビアなのでそうでもしないと実際つまらなくなることがあるらしい。批判的なに人は逆に、シビアだから鍛えて追いつこうとするべきでシステムでそれを達成してもしかない、ということの模様。

もともと演武の武的要素てのは大事なもんだけど、じゃあ純粋に力いっぱい殴り合えばいいかというとそうだろうか。そんなことしたいなら試合のほうがよい。そうではなくてあえて演武てのをいろんな諸派がやるのには意味がある。

話はそれるが、試合でもやっぱりルールは今でも諸派が模索していてより実践的?実戦的?というか各流派の目的に応じたルールが日々でてくる。例えばハイキックを使わせたいから、ハイキックだけポイントを2点にするとか、背刀を使わせたいので実際正拳よりもダメージ少なそうでも加点対象とするとか、そういう工夫が日々ある。
実戦的という不明瞭な言葉の行き着くところはノールール的なものが一つの行末になるけど、極端に言えばギリシャ・コロッセオの死闘とか漫画の地下闘技場てやつか。実際ルールのゆるい試合は見ていて面白くない。ただ凄惨なだけでみてて辛くなる。


技術的にはボクシングのように絞ることで精錬されるものが多いので、やはり諸派が目的に応じてルールを設定するのはいいことだし、現代社会とか安全面でも必要なことだ。

ラゥェイとかすげぇと思うけど、やっぱり見てて辛くなるとこも多いし、技術的にはキック・ムエタイのほうが精錬されてるかな?と感じることも多い。国内の素手で顔面含めて殴り合うのも私はあまり楽しく見れない。



話を戻して、そういうなかで演武を考えると、まぁ口汚く言えば「やらせ」とか「演じる」部分があるのは必然となる。演武で何を見せたいのか?てことだね。演武の「演」は「演じる」というか「範を示す」て意味なので、外客に示すもの、先達が後輩に示すもの、子供が日々の成果を親に示すものまぁいろいろあるだろう。特に先達が後輩に示すてのが大事かなと思います。

ただ男が力いっぱい女を殴ってる演武とか面白くもないので、B氏は「男は精細な技、女は勇壮さ」とかでいいんでないのという。そうよね。

少林寺拳法でいえば、金剛禅思想の表現てのが一つのテーマなので、羅漢錬拳図みたいな様々な人が和気藹々と修練に励むようなのを表するのは悪くない。演武で何を表現したいのかてのが明確であればもっと、演武は楽しくなると思うね。


というか演武て本当に難しい。