連続複数法形修練てやつ

BY ライデン IN , , , No comments

2022年12月頃のツイート。大事なことなので内部用にまとめておきます。誤字脱字の訂正と一部訂正しています。



https://twitter.com/Masspro_Dharma/status/1605458191692623873

 連続複数法形修練てのを最近本部が推してんだけど、横浜大六天道院はこれをずっとやっていて、むしろ個々の技をガチガチにしないようにしてるんです。その日だけのやり捨てやしな。
 やっぱ最新だったか。。いやワイは古典的な練習やと思ってやってんやけど。

これが開祖が言った、型でなく形、ていう法形演練とちゃうのかね。細かいこといいすぎたらそれが死ぬのよ。 禅理における不立文字教外別伝まんまんやな。


横浜大六天道院はこれをするための道院と行っても過言ではない。新設しないと所属してるだけではこういう修練を継続して行うことができないと判断したためです。
古典的と書いたのは、こういうのが、組演武、阿羅漢八系・那羅延五系がこのあたりの痕跡と思います。同じものではないですが、法形を続けて行うという修練は想定されていたと思います。何故か教範から消えたんですけど。


https://twitter.com/Masspro_Dharma/status/1605460973078183936

A→B→Cだけど、A16種→B16種→C8種とかバリエーション多くやるのが大事やで。A→B→Cでやるけど同じパターンはほぼない。
 法形1つでも左右表裏開対、順突逆突順受逆受、色々やれば何パターンもあるしね。
 ただ昇格試験には全く向かないので、そこんとこよろしく。試験的にはむしろ下手になるから。
内受突16種→上受突16種→流水蹴16種、みたいな。繋ぎとなる連反攻も自由なのでもっと増える。


完全な自由攻防(乱捕り)でも無い、完全な固定された組み合わせ(昨今の演武)でもない。緩やかな限定の中に適度なランダム要素、てのが大事よ。安全性と実践性を無難に担保できる。

 A→B→Cと法形つなげても固定しすぎると単に長い法形やるだけになっちゃうよ。それこれまでと対して変わらないよ。やりすてやりすて



https://twitter.com/Masspro_Dharma/status/1605471650098843648

あーそうだもう一つ大事なことがあったね。 
「乱捕りのような演武、演武のような乱捕り」…(A)
 少林寺拳法を駄目にした言葉ベスト3に入るこれ。
 連続複数法形修練の先には本来の(A)、これがあると思っているよ。連続複数法形修練は本当に大事な修練。

 (A)だけ聞くと、乱捕りを演武に近づける、演武を乱捕りに近づける、というニュアンスに取られやすい。これは異なるものを近づけるという発想。
 そうでなくて、法形という同根から乱捕りと演武の区別つかないようなものが生まれてくるていう意味だと思うよ。別々のものを無理に近づけるんじゃなくてさ。


 乱捕りと演武に区別がなく、法形と乱捕りにも区別がなく、法形と演武にも区別がない。ここまでが法形、ここからが乱捕り、演武ていうライン引きなんて無いんだよ。法形演練は。 
 何度も言うけど、細かい技やったらこれら全部死ぬ。曖昧さの中に可能性がある、それが法形演練だと思ってる。
字数で省略したけど、ついでに法形と基本にも区別がない。そういう広い範囲の法形修練が大事です。法形を狭くしない。細かくしない。

どんなに精妙な技でも、巧妙な技工凝らしても、部分の集合は全体にはならないんだな。むしろ遠ざかってしまう。言葉や文字に真実を捉える力が根源的にないからだよ。
 だから「技をきっちりやる」ほど堕落する、と私は考えているのです。

 宗教的になってきた。
「法形をきっちりやる」ような設計ではないのですよ、法形は。

https://twitter.com/Masspro_Dharma/status/1605473554555817984

まぁはっきり言って、連続複数法形修練は流行らないと思うわ。 
試験にも大会にも使わないからだよ。

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