横浜大六天道院は道着を着なくてもよい

BY ライデン IN , No comments

大きな声でも言えますが、うちの道院は一般拳士は道着を着なくてもいい道院です。いろいろご批判があるかと思いますが、うちはそういう方針なのです。
とはいえ、結局みんな7割はくらいは道衣を着ています。「なんでもいいよ」といっても道衣なのです。これは一つ面白い結果だと思っています。

私にとって道衣は格式ある正装ではなくて作業着という印象が強いからかもしれません。
必ずしも動きやすい服装ではなく、破れにくい汚れてもいい服という印象です。私にとって道衣が神聖なものかと言われれば全くNOです。
たとえ神聖なものであっても、本式と略式の切り替えができれればいいしできなければならないというのが私の考えです。本式しか教えないのは危険だとすら考えています。うちでは昇格孝試の時や入門式など節目のときに着ていればOKということにしています。
ただし道衣がないときは羅漢拳はしません。また清潔であることや危険ではない服装、運動に適した服装であることは求めています。

理由1 かさばるから

なぜ道衣でなくてもいいかと言うと、一番は荷物がかさばるからです。剣道ほどではないですが少林寺拳法セットもそれなりにかさばります(私は元剣道部です)。これをもって満員電車に乗らなければならない関東圏のことを考えるともっと軽くてよいウェアがあるのではないかと思います。こんなことで参座率が下がるならジャージでもいいと考えています。
また修練にいくつもりではなかったけど仕事が早く終わりそうなので…行けそうだからやっぱり行く、道衣か無いけど行く、みたいなのも想定しています。現代人は忙しいのです。

スポーツジムではウェアも靴もタオルも有料ですが貸してくれます。手ぶらで行って手ぶらで帰れます。これは大きなメリットです。通いやすいのです。環境が整っている。


理由2 動きやすいから

つぎに動きにくいからです。某フルコン団体の指導テキストを見ると、ミット打ちのときは道衣を脱ぐとあるように実際激しい運動にはもっと適した服装が現代にはあることは明白です。武道以外の格闘技を見ても必須アイテムではないのです。ラッシュガードを履いてみて下さい。はるかに動きやすいです。
なぜ大学生の拳士が太い道衣下を履くのかといば、伝統とかカッコイイからとかの理由もありましょうが一つは動きやすいからです。タイトな道衣は動きにくいのです。

少年部がオーバーヒートしかけていれば脱いでもいいというときがありますが、速攻脱ぎます。みんな動きにくいからといいます。子供は正直です。

理由3 楽しいから

理由はまだあります。スポーツには様々な楽しみがありますがそのうちの一つに「ウェアを選ぶ楽しみ」というものがあります。そんな中道衣はあまりに選択肢が乏しい。これはきつい言い方をすれば、少林寺拳法の魅力が乏しいと言ってもよいです。
山ガールを思い出してください。山ガールブームに浴した女性のすべてが登山が第一の目的だったでしょうか。山ガールのカッコがしたい、ウェアを買ったから山にも登ったという人も多かったのではないでしょうか。事実、山ガールファッションは素敵なものでした。


いや私達は武道であってもっと硬派なものだという人もいるかもしれません。でもよく思い出してください。胸に卍を付けていた旧制道衣のとき、黒帯にこだわった人は多いのではないでしょうか。
どこのメーカーの帯がいいから始まり、やれ艶がある朱子帯がいいとか、太い帯がいいとか、長さはこんなもんで、刺繍の文言・糸の色、いろいろみんな拘っていたように思います。世間から見たら同じただの黒い帯ですよ。見分けなんてつきません。でもみんな楽しんでいたように思います。

剣道なんて防具使うもんだから、すごくグレードに幅ありますよ。100万円の胴とかありますからね。空手着も3000円三点セットから始まり高価なものもあります。組手用の道衣、型用の道衣も別です。アメリカのテコンドーなんてとてもデザインの幅があります。もしかして道衣のデザインで道場を選ぶ人も多いのではないかな。けっこうな市場です。

もう一度いいましょう、スポーツにはウェアを選ぶという楽しみがあるのです。

理由4 技術的な経緯

実は以前から道着を着ない練習はたまにしていました。
護身の術であるというなら普段着でどれだけ動けるのかは大切な経験です。ピチピチのデニムでどれくらい蹴れるのか、ヒールを履いてどれくらい運歩できるのか。靴で蹴られると普段の受けが可能なのか。手袋したままで柔法捕れるのか。などなど、ネタは尽きないところ。道衣以外での修練も大切だと実感しています。
下らない様で地味に面白い。黒い手袋で暗闇パンチすると本当に見えないなど、ロマン溢れてるのです。
こんなこともあり、道衣は必須という思考が薄らいでいたのは正直なところ。

理由5 もう一つの理由

かさばって重くて動きにくい、選択肢も少ない。それが道衣です。
そして昨年もう一つの理由に対応できることに気が付きました。道衣は高価なのです。ある人が言ったんです。「お金がないので、入門直後から道衣じゃなくてもいいのは助かる。」いずれは買うつもりのようですが、入門の初期出費をずらしたい意図があるようでした。

これを情けないという人もいるかも知れませんが私は( ゚д゚)ハッ!としました。日本は貧しい国になりつつあるのです。若者の平均所得と貯蓄率は下がり続けています。そんななか少林寺拳法もお金のかかる側になりつつあるのかもしれません。


PS4なら毎月500円で300時間は遊べる時代ですよ。私はモンハンワールド(7800円)で1300時間くらい遊べました。完全無料のApexも11ヶ月で1500時間やっています。金のかからない楽しみはけっこう増えています。選択肢は少林寺拳法以外にもあるのです。

手軽なものが全て良いというつもりはありません。軽い気持ちで来てほしくないという意見もあるでしょう。それもいいでしょう。
ま、私は気軽に来てほしいほうですが。うちはチャラい道院なんです。カジュアル道院目指してますんで。荘厳な大聖堂に集うような形もいいけど、近所の無名の神社を訪れるように気軽に足を運んでほしい。私はそう願っています。

その他1:中学校の武道必修化のあたり

中学校で武道必修化をすることになり、日本武道館の9大武道のひとつである少林寺拳法もその対象です。少林寺拳法を行うにあたり大きな利点に、「用具がいらない」というものがあります。剣道のようにたくさんの用具を必要とせず、柔道着も畳もいらない。体育館と体操服のままで実施できる、これは導入する上で結構良いポイントでした。
体育館で行えるので学校側に格技場不要の設備投資なし、生徒側に新たな負担なし、はバカにはできないのです。お金の問題は大切です。
中学校の武道必修化では、道着がないことが利点となっています。

その他2:フランスの柔道のあたり

フランスでは柔道が人気です。競技人口は日本より多い。たくさんの民族の子供たちが柔道を学びに来ます。フランス柔道が教えている、「友情」「勇気」「誠意」「名誉」「謙虚」「尊敬」「自制」「礼儀」という 8 つのモラルコードが民族も宗教も異なる子供たちにとってかけがいのないものになっているからです。キリスト教の哲学にもイスラム教の哲学にも由来しない、だから誰もが学びやすい共通の規範としてうけているというのです。また社会的な期待も大きいといいます。
しかし移民の子どもたちは貧しい者が多く、道衣も買えないことがあるといいます。柔道は流石に上着だけでも柔道着でなくてはできないのです。だから連盟は貸し出しました。親たちの負担を減らすためにです。そうやって子どもたちに社会規範、共通の認識を教える機会を増やすために。
ここには柔道を使って教えたいこと、伝えたいことがあるように思います。柔道は「手段」なんですね。これは、人づくりによって国造りをしようとした、彼の人の考えに似ていませんか?





少林寺拳法はどうでしょうか。本当に、なにがなんでも、道衣がなければ金剛禅は学べないのでしょうか。道衣を着ないと信仰心が保てないのか!?開創期のように服装はバラバラ、でもみんな拳士という時代までいくことはないでしょうが。

道衣はかっこいい。道着を着てみたい。帯を締めてみたい。黒帯を目指したい。そういう声もあります。道衣の良さももちろん、 たくさんあります。
しかし今後、修練のウェアに関してはもっと柔軟な思考が社会から突きつけられるように思います。


追記

最近かなり見かけるようになった。資格別帯はいいと思いますよ。わたしは好みじゃないから買ってませんが。ぜひ色帯にも出してほしい。特に白帯で10色くらい展開してほしい。ピンクはマストな。
子供たちが初めて帯の締め方を学ぶ時、一方にカラーのラインがあれば帯のねじれとか自覚しやすい。締め方を学ぶときの実用面も期待できる。何より選ぶ楽しさがある。

参考

日本柔道とフランス柔道における安全制度に関する研究
A study on safety system in Japanese judo and French judo
https://www.waseda.jp/tokorozawa/kg/doc/50_ronbun/2017/5017A303_abs.pdf