「運用法ルールてどう思いますか?」

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気心の知れた他流派の方から、

「運用法ルールてどう思いますか?」と聞かれることがある。(複数回)

私の運用法については「あり」なので、こんな時は「いいんじゃないですかね」て言う。

私が入門した頃は「少林寺拳法は乱捕りしない」流派でした。仕方ないので乱捕り研究会を作ったり、他流オフを開催たり、仲間内で他流試合に出たりしてみました。なので現在も横浜大六天道院は興味があればこれらはどうぞどうぞスタンスです。
関東圏なら月1くらいで空手のオープン大会があります。いろんな団体が主催してるのでそれぞれルールが異なりそれが楽しい。当時少林寺拳法に決まったルールがなかったので気兼ねなくいろいろ体験できて良かったと思っています。

運用法ルールは無難な 「ポイント制」

で少林寺拳法的に運用法ですが、格技にはいろいろルールがあって分類するとおおよそ3つ。

  1. KO制のルール
  2. ポイント制のルール
  3. (自由攻防しない)
1と2、2と3の間には大きな差があります。めちゃくちゃ大きな隔たりがあると思って下さい。現行の少林寺拳法はぎり2ということになる。

私の認識ではKO制はリスクが大きい。怒られかもだけどアマチュアはするべきでないとすら思っています、実践性落としてでも。ましてや「人づくりの団体」とか「拳法馬鹿になるな」みたいなこという少林寺拳法がKO制をする必要があるのかと思うので、ポイント制たる運用法は正しい選択だと思います。

運用法ルールは伝統空手のルールにかなり似ています。私の認識は伝統空手に似せた、パクったというよりは、現代人に必要なとこを考えるとどうしてもこうなると思います。これを何十年も前からやっている伝統空手がすげぇ、てことです。

伝統空手においても、伝統ルールができた時、また今でも賛否あると聞きます。でも長く続けてきたことで、伝統ルールは間違いなく空手の大事な一部になった。これから運用法はどうなるのでしょう。

余談ですが伝統空手はネットでは寸止め寸止めと馬鹿にされること多々ありますけど、高校大学を空手の推薦で進む人たち、いわゆる選手クラスはめちゃくちゃ強いです。見る力、判断力、対応力がまさにトップアスリートのそれ、一般とは一線を画す驚異的な強さです。彼らの突はコントロールして止めてるのであって、我々に5cm踏み込み撃ち抜くことは容易にできる人たちです。選手クラスは精錬されてます。


運用法ルールと少林寺拳法

前述のとおり、私が入門した時は運用法ルールは有りませんでした。団体として規定ルールは有ったほうがいい。無いと自由攻防しなくなります。多少ルールに疑問があったとしてもやらないよりは自由攻防したほうがいい。そういう現実的な落とし所が運用法ルールだと思います。これが「あり」という意味です。

格技のルールは実践性と安全性のせめぎ合いで、実践的なものは危険度が高く、安全すぎるものは嘘くさくなりがち。
武術諸派の歴史とは、常にこの実践性と安全性の模索と言ってもいいでしょう。実践性の薄い訓練は兵士に施しても仕方ない。でも安全性が低く訓練で怪我ばかりしていたら軍備として問題がある。まさに実践性と安全性は人類に常に抱える課題でしょう。
真剣はまずい木刀にしよう、いやいやまだ危ない袋竹刀だとかね、そうだ小手を打てるように分厚い手袋しようとかね。近代に入ってから徒手格闘はもっぱら顔面攻防ですね。グローブ、面の開発、寸止め、顔無し、いろんな模索が有り今でもそれは継続されています。みんなまだまだ、まだまだ探している。

そんな中、誰もが運用法ルールが少林寺拳法に最適なルール、技術を活かせるルールだとは思っていないと思います。私はそう思ってる、1つの落とし所だが、このルールが全てではない。

いろんなルールが有る中どれをやるべきなのか。どれが少林寺拳法の技術体系にマッチするのか?  私の考えは、1つのルールでは駄目ということです。幅広くやればいい。それは他流試合でいろんなルールでやったことからもそう感じています。
普段言っいるじゃないですか。勝ち負けに拘るなー、みたいな。そうです拘ってないんです大して(これも問題だが)。だからこそ色んなルールを楽しめる土壌が少林寺拳法にはあるとも言えるのです。

色んなルールを楽しめばいい

お勧めはね、それぞれのルールで最適な動きを模索する。これが楽しい。そのうち自分のやりたいこと、スタイル、ドクトリンが見えてきます。剛法だけじゃない柔法もしたい。いろんな可能性が少林寺拳法にはあるはずです。

我々少林寺拳法はもはや後進だと思わなければならい。どうやったら強くなれるのか、どうやったら強く突けるのか、どうやったら間を盗めるのか、そういうトライアンドエラーが他所で何十年も行われる中、我々は「乱捕りはするべきなのか?」という議論に費やしてしまった。何十年も遅れているという事実を直視して、どんどん取り組むしか無いのですよ、少林寺拳法は。

だから 運用法ルールはありです。やりましょう!!

少林寺拳法と「気」

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 武術て精神性と結びつきやすいのでスピリチュアルと相性がいい。これは本当です。そしてたまに聞かれる「気てあるの?」ですが、まぁあります。



漢和辞典で「気」調べると。

調べますとね。最低五項目くらいあります。項目も多いし、それぞれに統一感のない項目…「気」というのは色んな意味があってー、

あなたが部屋を片付けているとしましょう。これは使うもの使わないもの、秋に使うもの、あの時に使うもの、これは大事なもの、色々分けていきますね。その中でどこに入れておこう?というものが必ずありませんか。とりあえず分類できないものBOX、それの言葉版が「気」という概念です。なので曖昧で何かわからないもの、なのは必然なんです。

昔はわからなかったけど今はわかったものもたくさんあります。電気とか磁気とか、空気とか、いかにも「気」という言葉がついているものもあります。でも依然としてわからないものはあるし、分類しにくいものはあります。


横浜大六天道院では「気」という言葉は使いません。

解説するうえで使いません。上述の通り言葉の意味が広く、お互いに同じ概念ではない可能性が高い曖昧な表現となるため、解説には使いません。

ただ気をつけろとか気持ちよく投げるとか、そういう一般的な言葉の範囲では無理に避けることはないです。

後は意識だけ撃とっくみたいな表現はありますね。ストレート出す前にジャブを(物理的には出してないけど)意識の上では撃っておく。ちゃんと意識の上で出してると相手が釣られてストレートが当たりやすくなるみたいなのはあるので。打撃でも投げでも。「スタンド攻撃」と呼んでいます。




武術と気

ただ相手に触れるずに投げるとかはあります。状況が揃えば。状況を作るというのも戦術の内というのも確かです。ボクシングやサッカーの試合中継で聞いたことはありませんか? 「自分のペースで戦えていますね」というのを。

長い年月を掛けて門下生の感度を上げるというものもあれば、数時間のセミナーで醸成する人もいます。昔の2ちゃんで有名だったHさんは「三時間あれば誰にでも合氣を掛けられる」て言ってましたね。

自分の行っていることに一般性があるのかどうか、知らず知らずのうちに身内のみで有効な技術となっていないか。これはどの修練者も常に気を配るところではないかと思いますね。とりあえず他流派スパーにでも行くのが若い人はいいでしょう。

相手を術中にはめていくのも戦いの内ですよ。そういう中で、相手を上手く操るというのは確かに存在します。さらに言えばすごく短時間でそれを達成できる人もたまにいます。なんならプロの世界の勝負こそ、こういう繊細な部分が大事になってくるのかもしれません。なので私はできませんが、これも武術の内だと思いますよ。

これらは人間の仕組みなのかバグなのか、面白いのは確かです。でも多くの人には短期間でそれを用いるのは困難なので、試合とか襲い来る暴漢対策としていわゆる「気」は良い選択ではないと私は思います。

でも有るか無いかと言われればあります。

連続複数法形修練てやつ

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2022年12月頃のツイート。大事なことなので内部用にまとめておきます。誤字脱字の訂正と一部訂正しています。


https://twitter.com/Masspro_Dharma/status/1605458191692623873

 連続複数法形修練てのを最近本部が推してんだけど、横浜大六天道院はこれをずっとやっていて、むしろ個々の技をガチガチにしないようにしてるんです。その日だけのやり捨てやしな。
 やっぱ最新だったか。。いやワイは古典的な練習やと思ってやってんやけど。

これが開祖が言った、型でなく形、ていう法形演練とちゃうのかね。細かいこといいすぎたらそれが死ぬのよ。 禅理における不立文字教外別伝まんまんやな。


横浜大六天道院はこれをするための道院と行っても過言ではない。新設しないと所属してるだけではこういう修練を継続して行うことができないと判断したためです。
古典的と書いたのは、こういうのが、組演武、阿羅漢八系・那羅延五系がこのあたりの痕跡と思います。同じものではないですが、法形を続けて行うという修練は想定されていたと思います。何故か教範から消えたんですけど。


https://twitter.com/Masspro_Dharma/status/1605460973078183936

A→B→Cだけど、A16種→B16種→C8種とかバリエーション多くやるのが大事やで。A→B→Cでやるけど同じパターンはほぼない。
 法形1つでも左右表裏開対、順突逆突順受逆受、色々やれば何パターンもあるしね。
 ただ昇格試験には全く向かないので、そこんとこよろしく。試験的にはむしろ下手になるから。
内受突16種→上受突16種→流水蹴16種、みたいな。繋ぎとなる連反攻も自由なのでもっと増える。


完全な自由攻防(乱捕り)でも無い、完全な固定された組み合わせ(昨今の演武)でもない。緩やかな限定の中に適度なランダム要素、てのが大事よ。安全性と実践性を無難に担保できる。

 A→B→Cと法形つなげても固定しすぎると単に長い法形やるだけになっちゃうよ。それこれまでと対して変わらないよ。やりすてやりすて



https://twitter.com/Masspro_Dharma/status/1605471650098843648

あーそうだもう一つ大事なことがあったね。 
「乱捕りのような演武、演武のような乱捕り」…(A)
 少林寺拳法を駄目にした言葉ベスト3に入るこれ。
 連続複数法形修練の先には本来の(A)、これがあると思っているよ。連続複数法形修練は本当に大事な修練。

 (A)だけ聞くと、乱捕りを演武に近づける、演武を乱捕りに近づける、というニュアンスに取られやすい。これは異なるものを近づけるという発想。
 そうでなくて、法形という同根から乱捕りと演武の区別つかないようなものが生まれてくるていう意味だと思うよ。別々のものを無理に近づけるんじゃなくてさ。


 乱捕りと演武に区別がなく、法形と乱捕りにも区別がなく、法形と演武にも区別がない。ここまでが法形、ここからが乱捕り、演武ていうライン引きなんて無いんだよ。法形演練は。 
 何度も言うけど、細かい技やったらこれら全部死ぬ。曖昧さの中に可能性がある、それが法形演練だと思ってる。
字数で省略したけど、ついでに法形と基本にも区別がない。そういう広い範囲の法形修練が大事です。法形を狭くしない。細かくしない。

どんなに精妙な技でも、巧妙な技工凝らしても、部分の集合は全体にはならないんだな。むしろ遠ざかってしまう。言葉や文字に真実を捉える力が根源的にないからだよ。
 だから「技をきっちりやる」ほど堕落する、と私は考えているのです。

 宗教的になってきた。
「法形をきっちりやる」ような設計ではないのですよ、法形は。

https://twitter.com/Masspro_Dharma/status/1605473554555817984

まぁはっきり言って、連続複数法形修練は流行らないと思うわ。 
試験にも大会にも使わないからだよ。

拳士も他流スパオフに行こう

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スパーオフ会ていうやつ。昨今すごく多くて、関東圏なら5グループ以上あると思う。

だいたいルールは似てます。上級者から初心者まで楽しめる。勝負じゃないんです、お互い知らない人、知らないスタイルの人と乱捕りしがたいんです。




他流派とスパーリングができる時代

いい時代です。かつてイメージされたような、流派間の殺伐とした意地の張り合いなんてないと思います。

思えば2004年に2ちゃん武道板で他流派スパオフ開催したのが私にとってスパオフの最初でした。ネットの武道談義は必ず荒れる。そんな時は会って検証。そういう時期でいろんなオフ会が開催されていました。
ちなみに当時のオフはこういう流れでした。まず全員でフルコンルールを超軽く。ここでムキになる人がいないか運営側はチェック(まずいない)。その後キックルール、組技ありルールとかフルコンルールとか3-4つにグループ分け。参加者は3-40人はいたと思います。

ここ五年くらいでますます進んでたくさんのグループが開催しています。すごく参加しやすくなりました。だから興味があれば拳士の方にも参加してほしい。


第三の修練場になる

私イメージでは、第三の練習場になると考えています。1は自分の所属の通常練習、2は大会てか試合、そして第3が他流派スパオフです。

試合は試合で大事です。やはり明確に勝敗を競う意義は大きい。乱捕り稽古では得られない経験値が貯まります。他流派スパオフでも試合の代用にはなりません。関東圏には防具空手系をはじめオープン大会がたくさんあるのでおすすめです。

でも…試合は試合でいいのですが怪我もあるし、トーナメントで負けようものなら一日一戦ということもあります。大会出場は6000円とか1万円もザラなのに一試合ではちょっと悔しい。対して他流派スパオフは試合よりずっと安全だし、一日何回も繰り返せるので経験値が貯めやすいです。

また他流スパオフの特徴の一つに、色んなスタイルの人とスパーできるてのがあります。これがかなり楽しい。試合には大会ルールによってスタイルの最適解が生じます。スパオフでは自分のスタイルを通すのか、相手に合わせて変えるのか。勝ち負けじゃないからどんどん試せます。そういう中で自分の流派のスタイル、自分のスタイルがよりはっきり見えてくるんです。これは慣れた身内とだけ乱捕りやってるうちは分からない。これらをスパオフは1000円くらいで参加なので美味しすぎる。

安全面が高いので、今後武道団体の中にはこれまでの試合結果を出す、出場を目指すという目的の他に、「他流スパオフを楽しむ」というものを掲げるところが出るんじゃないかなと私は思いくす。
社会人にも参加しやすく、試せる場所がある。試合は敷居高いけどスパオフなら…という需要はあると思います。そういう風にメジャーな稽古の一つとしてもっと定着していくのではないかと。アスリートクラスならいざしらず、アマチュアにはすごく貴重な場となっていく、私そう感じています。


道院の外で試す

よく武道では教義の面で、道場で習ったことを道場の外でも活かそうみたいなのがあります。まあ確かに道場では品行方正だけど一歩外に出れば粗野になるのでは困りものです。

教義だけではなく技術面でも同様です。
自分の習っていること、やっていることに一般性があるのか。道場の中でのみ、同門に対してのみ有効な技術に陥っていないか、ピーキーな技術となっていないか、これを試す場としては他流試合とか他流派スパオフは有効です。

スパオフに参加する大きな利点は自分のショボさが分かることです。世の中に強い人がゴロゴロしてると毎回実感できます。
門下生に参加を促す理由はこれで、外で経験がないと強さの上限が私になってしまう。もっと強い、遥かに強い人とスパーしてもっと強くなってほしい。だから参加を促します。


横浜大六天道院の取り組み

参加してたら偉い、しない拳士は駄目だみたいな考えはないのですが、横浜大六天道院ではこういうオフ会にも関心があれば気負わず参加できる程度には、スパーを日常的にやっていきたい思っています。技術的に圧倒とかしなくていいんです。気負いしない程度にスパーに慣れていてほしい、その様に願っています。

一番良くないのが「もうちょっと強くなったら…」と尻込みするパターン。強くなるために参加するの!!逆です逆。
模試受けてはよ自分の立ち位置見たほうが良いですよ。勉強したら模試受けますじゃ遅いの!!

もちろん他流試合に挑戦するのもOKです。試合ルールに特化した練習がどこまでできるのかわからないですけど、できるだけ協力はします。門下生の努力の甲斐もあって、大会で優勝する拳士もでてきました。

負けてもいいの、ボコられてもいいの。出ると決めたときから練習への集中力がバッチリ高まりますからね。

横浜大六天道院ではスパーオフ会、試合、あとセミナーですね。これらには道院から補助金を出しますのでひとつお願いしてあります。
ぜひ習った内容を道院に還元してください。やったこと、もう一度二度復習したいよね? 復習を兼ねて皆に試しまくってください。これをお裾分け会と呼び、復習と還元を兼ねているイケてるシステムなのです。
いいものは共有!! 出し惜しみ、抱え込みしないのが少林寺拳法です。皆でうまくなろう!!

狭い少林寺拳法をするのではなく厚みのあるものをしましょう。


終わりに

もしかして、他流派と交流すると門下生の興味がそちらに移ってしまうんじゃ…引き抜かれちゃうんじゃ…そういう心配をする方もいるかもしれない。実際は自分とこますます好きになる方が多いんじゃないかな。私も他流派スパオフをして少林寺拳法がますます楽しく好きになりましたし。周囲にはそういうのが多いです。20人くらいはそういう拳士がいる。

技術が流出するんじゃ…多分大丈夫です!!!そもそもそんな時代じゃな 以下略


何が言いたいかというと、拳士の方にも参加してほしい。
怖い人はいません。どうしてもね、ネットで見ると上手い人がバチバチやってる風に見えますけど、そういうのばかりではないです。


こんな感じ。他にもあるかも。


探しても2004年の他流派スパオフの写真まったくないわ…多分当時はまだ写真取られるの嫌がったんだよな。先生にバレると面倒とかさ。いまはどんどんSNSに上がってるけど。

仕方ないのでイメージ写真は少林寺拳法のオフ会。

「道着脱いでいい?」「なんで?」

BY ライデン IN No comments

 初夏でも暑い

思えば中学生の頃も初夏ともなれば暑かった。でもまだ夏服期間じゃないので学ラン。汗疹とアトピーの私にはやんわり辛かった。
なぜ実際暑いのに脱いではいけないのか、とも考えずそんなもんだと思っていたあの頃。
ほどよく昨今は夏服の移行期間に関して、いくつかの報道も目にしたところです。


今も稽古のとき暑い。地区センターは冷暖房があるけど、まだクーラーは使えない。いや受付に頼むと弱めだけど入れてくれる、でもガンガンは効かせられない。施設の決まりで時期的なものがあるみたい。入れてくれるだけでもありがたい。


この「夏服」や「空調の時期」という決まりごと、これが厄介だ。決まりは大事だけど、大事だけど、、、やっぱり暑い。

「なんで!?」

そんななか、子供たちが毎回聞く。
「道衣脱いでもいい?」(汗だく)
「・・・着とけよ!!」(汗だく)
「なんで!?」(汗だく)
「・・・・」(汗だく)

私もう諦めた。脱いでいいことにしようと。
フルコン空手諸派では道着脱ぐことも多いのは知ってる。新宿スポセン行ったら道着着てない人なんていくらでもいる。道着がなくてもできるのよ。実際暑いし、あと動きにくいのよ、道着。


道衣を着るべき合理的な理由がない。すべて合理性が優先されるべきと思っているわけではないのだけど、やはりこの子供の「なんで?」にまったく答えがない。無さすぎる。

色々な考えがあると思います。でも暑いのも嫌だけど、何より決まりだからといって現状無視で着続けるこの不条理が嫌だ。
夏服も空調もルールは大事だと思うが、熱中症で倒れてまでのものではないのではないか。子供たちほんま毎回汗だくなんよ…。

だが帯は絞めてもらおう。帯さえちゃんと結ぶ習慣があればすぐ戻れるし。帯は自分たちで掴み取ったもんだから付けたがるしな。

何が言いたいかというと、暑い!!


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余談だけど私も禅門としての、「握りしめないこと」が頭に過りまくっているのです。
厳密な意味はあれだが、五箇条の御誓文、
「旧来の陋習を破り、天地あまつちの公道に基づくべし。」
明治の僧による、
「人伝の導師たる禅の師家がいたずら古い習慣にこだわってどうするのだ。世とともによろしく推移して、もって教化の実をあげん。」
このあたり。

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【追記】
我田引水で恐縮だけど、合気系でも脱ぐんだなと。
https://twitter.com/keidokan/status/1527022633937539072