技術、技と術。作る練習と使う練習。

BY ライデン IN , , No comments

技術、技と術。作る練習と使う練習。先日、ちっと座学でやりましたので関連を。
作る練習と使う練習、これを明確に認識して練習すると、よい練習になる、かも?

あのサイトからアーカイブしつつ、ちょっと文言は改変。元文章は、2005/9ごろか。

技と術

『少林寺は技の練習だけで、術の練習はしてないんですね。

と他流の人に2ちゃんで言われる。ウンウンそうかもと思う。。

 読本(旧制のピンクの読本)、拳の三要にはこうある。

「技」(technique)
体と手足を用いる動作です。たとえば、突き方、蹴り方、受け方、投げ方などの基本動作のことです。

「術」(skill)
練磨された「技」の活用法です。習得した技は、いつ、いかなる場合に用いれば大きな効果をあげることができるのかという適かつ有効な運用のことです。
 特にくどくど説明しなくても、もうわかると思いますので、、、そういうことです。技とは術とは?、技術とは? 作る稽古と使う稽古、これらは完全に分けられるものではありませんが、指導の時にごっちゃにしてると危険です。

 ここも参照していただきたい、『
なぜ乱捕りをするのか』ここでは、「見る・判断する・動く」という段階に着目して乱捕り稽古の必要性を書いてみた。これと、「技と術」の項目を見比べるとまさに少林寺拳法には「術」の稽古が不足しているのではないかと思われます。

 作る稽古と使う稽古、これはちゃんと区別しましょう。







技術略の区別

 理解しいないものは区別できないので、カードゲームで三要「技術略」をちょっと補足。
 まぁ世には様々なカードゲームがあります。あんまり覚えてないんですけど、それぞれのカードには属性があります。例えば、キャラクターのカード、攻撃力とかとか防御力とか生命力とか書かれているやつです。他にもマジックカードとかトッラプカードとかなんか補助的なカードもあるのかな。

三要の「技」とはこの個々のカードにあたります。
 より使いやすいカードを入手する。より強いカードを入手する。このようなカード資産の構築は新しい法形を学ぶことや、個々の法形の錬度を上げる過程に似ています。
 強いカードを持つ、沢山のカードを持っていれば、弱いよりは手持ちが無いよりは戦いを有利に進められるでしょう。なによりより自由自在に様々な戦術を組むことを可能にします。

どのタイミングでどのカードを使うのか、これが三要の「術」です。
 強いカードや便利なカードを沢山もっていてもそれを実際のゲームの中で使うには知恵と経験が要ります。どんなに強いカードでも相手の罠にはまってしまっては有効に働きません。使うときには有効なタイミング、チャンス(機会)があるはずです。逆にカードがあまり強くなくても、使い方(組み合わせと機会)により有効な働きをするものです。
 本部がいう、戦術組成とはこのことです。 少林寺拳法の拳士は法形
(ここでは技)の練習はあほほどやるんです、でもね(省略)

 自分のカード資産の中から、自分が可能な自分にあった戦術を組むことができれば、ちゃんと戦えるはずです。つまり大佐曰く、

大佐「MSの違いが戦力の差ではないことを教えてやる!! 」
 別に技より術のほうが大切だと言いたいのではありません。いいカードを持っていることも大切です。バランスです、バランス。 ※戦術組成には自分のカード資産をちゃんと認識することは当然のことです。

略はゲームの外側。
 これはゲームを始めるまでのことです。戦術にいたるもっと外側、大枠のことであります。ゲーム始める前にカードを選出しておくとか並び替えておくとか、そういう下準備です。まぁ拳法的に言うともっといろいろ妄想しとくわけです。対戦相手に対戦前に毒を盛るとか、失恋させるとかそういう卑怯な下準備もありだ、ぐへへへ。負けそうになったら卓袱台をひっくり返してやろうとか、つまりゲームの中身では無く、ゲームの外側における思考のことです。もちろんgood playerとし正々堂々と戦ってやろうというのも含んでもよいでしょう。これを踏まえて「君子危うきに近寄らず」みたいな言葉が思い出しましょう。



 最近は技術略を逆の順序で略術技という順番で見ることが読本なんかで示されています。それはつまり、どういう戦い方
(正々堂々と戦う、スルッと戦う、ねっとり戦う)をしたい(略)のかが決まれば、カードの組み立て(術)もだいたい決まってきます。戦術が決まれば、「じゃどんなカード(技)が必要だろう」ということを考えます。三要は常に双方向で考え、全体を構築せねばなりません。その全体こそが自己になります。

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